1994年10月、ボクはケジメとして右手の小指を切り落とした【元ヤクザ《生き直し》人生録】
【塀の中はワンダーランドVol.2 】ポール・フィッツジェラルドって誰?
◼️ポール・フィッツジェラルドって誰?
英字を難なく読んだ沼田の頭の良さに畏(おそ)れのような感情を抱き、劣等感を持った。するとデリカシーのない沼田は「あ、あ、兄キ〜ィ、イ、イ、インテリアは、し、し、室内のことですよ。そ、そ、そういうときはイ、イ、インテリと、い、い、言うんですよ」と、ボクの心の内などまるで斟酌(しんしゃく)せず、自分のインテリジェンスを自慢するかのように注釈を入れてきた。
「人もし汝(なんじ)の右の頬(ほお)を打たば左をも向けよ」という聖書の一節を思い出したボクは、その通りに、劣等感で左の頬をひっぱたかれたかのような思いになっていた。
それにしても、何でボクに外国人名義のカードなんか渡したのだろう。ボクは訝(いぶか)しい顔を沼田に向けた。
「おい沼田、やっぱしオメェ、頭がいいなぁ。さすが大学出だけはあるな。ところでオメェ、このオレに外人(ガイジン)になれってぇのか。『ジス・イズ・ア・ペーン』しか知らねぇこのオレに……」
奥歯をカタカタ鳴らし、顔から汗を噴き出している沼田は、デカい身体を窮屈(きゅうくつ)そうに動かしながら必死に抗弁した。
「あ、あ、アニキ。だ、だ、大丈夫ですよ。あ、あ、アニキ、か、か、顔、ま、ま、真っ黒だし……、が、が、外人に、み、み、見えますよ」
ときどき日焼けサロンで肌を焼いているボクの真っ黒な顔を見て、いったいどこの国の人間に見えるというのだろうか。どう見たって、フィリピン人かベトナム人、もしくはタイ人ぐらいにしか見えない。目を回した酔っ払いだったら、アフリカ人にも見えるかもしれないが。なのに、おそらくはアメリカ人であろうポール某(なにがし)に見えるなどと、訳のわからないことを言い出したのである。
ボクはそんな沼田に、「テメェ、またおかしなシャブ(覚せい剤)、やってんじゃねぇだろうな。訳のわからねぇこと言い出しゃがって……」と、わざと怒るような顔をつくって訊いてみた。
すると沼田は、「あ、あ、アニキ、う、う、疑ってるんですか?」と、白(しら)を切ってくる。
ボクはそんな沼田に、「テメぇのその汗とカタカタやっている顎(あご)は何だぁ。まるで水面でパクパクやってる酸欠状態の金魚じゃねぇか」と言ってやった。
沼田は目を不安そうにキョロキョロと動かし、やばいと思ったのか素直に「す、す、すいません。や、や、やっちゃいました」と白状し、
「そ、そ、それより、きゅ、きゅ、給油に使うだけだったら、だ、だ、大丈夫ですよ。きょ、きょ、今日中に、に、に、日本人、め、め、名義の、カ、カ、カード、に、に、20枚、ど、ど、どうしても持っていかないと、ま、ま、まずいんです」
と巧みに話題の矛先を変えてきた。沼田は流れてきたカードの卸(おろし)元をやっていたのだ。客から注文があったものの、1枚どうしても足りないことから、ボクの持っている日本人名義のカードと差し替えたかったのである。
「わかった。このカードで問題ないなら、オレは今からポールちゃんだ。ところで沼田、一度このオレをこの名前で呼んでみろ」
「えっ、あ、あ、アニキをですか?」「そうだ」「か、か、勘かん弁べんしてくださいよ。あ、あ、兄貴ぃ〜」「駄目だ、言ってみろ」「わ、わ、わかりました。そ、そ、それじゃあ、い、い、いきますよ」。
ボクはいったん言い出すとしつこい。それを知っている沼田が汗びっしょりの顔をボクに向けた。「ポッ、ポッ、ポッ……」
言い始めたが、どうした訳か、今回は吃っている。
ポッ、ポッ、ポッじゃあ、鳩ポッポだ。だが、口を尖(とが)らせた沼田の顔は、鳩というよりもタコの吸出しのようだった。
これじゃあ日が暮れちまうと思ったボクは、「わかった。わかったからもういい」そう言って、旧(ふる)いカードを沼田に渡した。何事も大雑把でアバウトなボクは、そのまま外人名義の盗難クレジットカードをポケットへ投げ込んだ。このクレジットカードを田無市(現・西東京市)のガソリンスタンドで使用したのが、運のツキとなってしまったのだ。
一度ツラがつくと、落ち目の三度笠になるのは早い。
ボクはその後の14年間、監獄と世間を忙しく行ったり来たりする破目になってしまう。
パクられた事件の顛末(てんまつ)は「何でこうなるの?」と嘲笑われても当然の、ドジで間抜けなシチュエーションであった。
(『ヤクザとキリスト〜塀の中はワンダーランド〜つづく)
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2020年5月27日
『塀の中のワンダーランド』
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新規連載がはじまりました!《元》ヤクザでキリスト教徒《現》建設現場の「墨出し職人」さかはらじんの《生き直し》人生録。
「セーラー服と機関銃」ではありません!「塀の中の懲りない面々」ではありません!!
「塀の中」滞在時間としては人生の約3分の1。ハンパなく、スケールが大きいかもしれません。
絶望もがむしゃらに突き抜けた時、見えた希望の光!
「ヤクザとキリスト〜塀の中はワンダーランド〜」です。